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ページ番号848番
★ セピア色ですが幸せな生活 ★ 白髪の翁 (広島) 2011-12-12
愛妻というキーワードでこのサイトを見て以来、興味を持って読ませていただくだけのリピーターになっていました。
私が愛妻日記、愛妻生活として当初イメージしていたものはやはり妻をいとおしい、いたわるということを中心に据えた穏やかな生活を思い描いており、そのような生活に至る世間の皆様方はどのようにして愛妻と言える夫婦生活に至ったのか? 既に60に達した私の例で言うと、ご多分に漏れず夫婦喧嘩もそうですし、そうでなくとも隙間風の吹く夫婦でした。何時分かれても不思議でない私達がやっと夫婦らしき落ち着いた夫婦と思えるようになったのは、子供も大きくなってしばらく経ったほんのここ数年です。皆様の愛妻生活はどのようにして達せられたのか興味を持って探し、たどり着いたサイトがこの「愛妻倶楽部」でした。私の当初の思いとは裏腹にセックス描写を中心にした内容にビックリ、ドッキリです。決してこの内容は嫌いではなく、むしろ垂涎のごとく読ませていただいていますし、私自身も勿論妻に対して似たようなプレイを試みたこともありますし、ネットを通じて知り合った幾人かの女性と妻に内緒でそれなりに会ったりもしました。妻も私に内緒で他の男と外泊したこともありました。しかし、今となってはそれら修羅も含め諸々のことを越えて愛しい妻、いたわってあげたい糟糠の妻となっています。その私達の愛妻日記は皆さんのような燃え上がる中身のある充実したセックスは最近では殆ど無く、お話しするには申し訳ないぐらいの地味な日々です。それでも現在の私はある意味満たされ、幸せを感じることができるようになりました。このように歳を取ると別な意味で充実した夫婦生活を送ることもできるという例をお話しておきたいと思い投稿させていただきました。何分このような文章を書くのは初めてですので読みにくい点はご容赦ください。 私達の日常は、朝6時半前後の起床から始まります。朝の起床時間は、この春私が定年退職して田舎に帰る前の都会での生活サイクルと殆ど変わっていません。妻57歳は田舎に帰っても運良く仕事が見つかり、8時過ぎに家を出て行くまで洗濯、朝食の準備、洗面化粧、着替え等々でバタバタして出かけています。私は勤務こそしていませんが田や畑の仕事で妻の出勤後は、外に出て仕事をし、昼食の時以外は概ね外で体を動かしています。夕方5時ごろ妻が車で帰ってきます。洗濯物を取り入れ、夕食の準備をする頃、私が外の仕事を終えて風呂を焚き始めます。6時ごろになると二人で酒を飲みながら、テレビを見ながらの夕食です。7時のNHKニュースが終わると一段落して妻は食事の片付けを始めます。このような日常の中で特に妻とベタベタすることも無く淡々と時間が過ぎて行き、9時過ぎる頃から風呂に入ることになります。私達夫婦が理解し会えるようになったのはこの風呂に入る時間から朝起きるまでの間にポイントがあるように思います。 私は以前から妻に「夫婦円満の秘訣は理屈ではなく互いのスキンシップにある」と繰り返し言っていましたが常に妻は聞き流していました。特に子供と一緒の生活ではどうしても子供中心の生活になり、仮に子供が遠方にいても妻の心は夫ではなく遠くの子供に向ってしまうようです。しかし、子供たちが就職したり結婚したりすることで私達の手を離れてくると、必然的に夫婦の心が向い合う時間が長くなってきます。妻も少しずつ私の言葉に耳を傾けるようになり、私も“触れ合い”を心掛けるようになってきました。最初の頃は妻の受け取る“スキンシップ”の意味はセックスと理解していたようですし、私もそう思っていたかもしれません。従って「またやるの~」とマンネリ気味の表情が見て取れるぐらいでした。しかし、歳を重ねてくると“ヤル”だけでなくそれに至るプロセスが男の私にも快感に思えるようになりました。特に、寝るときは敷布団をぴったりくっつけて腕枕をしてやります。勿論最初は妻も嫌がってイビキがうるさいとか、寝られないとか言っていましたが、実際に腕枕をしながら今日一日の話をしたりしながら、肩が凝ると言えば肩を揉んでやったり、腰であれば腰を、首であれば首を揉んでスキンシップを図ってきました。すると次第に毎晩の“腕枕”が妻のお気に入りになり、私が妻の手を私の股間に導いても抵抗無く従ってくれるようになりました。互いに話をしながら、うなじを揉んだりペニスや玉袋をもてあそんだりしながら過ごす時間は私達の仲を急速に近くしていったのです。私自身も妻の股間部をマッサージしたり愛撫したりします。このようにしていると時々夜中や明け方に私の手の上に妻が股間部を乗せてくるようになりました。手のひらに恥丘が乗るようにしてくるので必然的に指先がクリや陰唇部に触れることになり、私も寝ぼけながらも指を動かすはめになってきます。退職までの都会での2,3年間でやっと夫婦らしい幸せな生活を実感できるようになりました。 私が退職して田舎に帰ってからは、風呂も広くゆったりして電話や来客も減ったことから妻に一緒に風呂に入るよう毎晩声をかけています。風呂でも布団でも必ずしもセックスをするとは限らず、多くの場合肌の触れ合いだけで終わることが多いのが現状です。風呂では今日の話をしながら浴槽に一緒に入るように心がけていますし、特に私は妻に私への奉仕をお願いしています。浴槽内で向かい合いながら股間部を触って貰ったり、体を洗うときは私が浴槽の縁に腰をかけ妻に私のペニスを泡でしごいて洗って貰ったりしています。他愛も無いことですがこのようにしながら私も目の前の妻の首や肩や胸を揉んだり洗ったりします。最初の頃は風呂で性交したりしていましたが毎日となるとやはり当然ながら風呂では体を洗うことが主になってきます。 風呂から上がると、体を冷ました後、例の“腕枕”をしながら寝ることとなります。寝床では常に私が左、妻が右側に寝ることから、腕枕は私の右腕が妻の首の下に位置することになります。妻の肩を右手で抱き寄せると自然と妻は左向きに私の方に向く姿勢になり、妻の手は私の股間部に当たり、このタイミングで私は自分の下半身を脱ぐことになります。後は今までどおり他愛も無い話をしながら互いの体を触ります。私は妻の揉んで欲しいところを揉んだり、何も無いときは妻の髪を撫でたりしてやります。ひとしきりこのような“愛撫”を続けると同じ姿勢で苦しくなるので、その頃がひとつの区切り。その後は互いに楽な姿勢で寝ることになります。明け方など、私が早く目が覚めると妻に腕枕をしながら顔にかかる髪をはらいながら撫でてやります。これは無理にしていることでもなく、自然にしてやりたくなってくるのが不思議です。時々、妻の頭や体を両手で強く抱きしめてあげたりします。 以上が私達の日常です。このような日常のベースを基に日によって、或いは時期によって色々なパフォーマンスが加わったりバリエーションが出たりすることになります。例えば寝る時、或いは夜中でも時々寝ている妻の手を握って寝たりすることもよくあります。このようなスキンシップは口に出して言う「愛している」という言葉以上に相手にその思いが伝わるのではないかと思っていますし、実際、このような日常を送ることによって、妻と私の間がより近く、理解、信頼関係も深まってきていることが感じ取れます。このようなスキンシップの中には必ずしもセックス(性交)は伴っていません。基本は体或いは性器周りを中心とした触れ合い、もて遊びです。セックスしたいときは私の方から妻のパジャマのズボンを脱がし始めることから始まりますが拒否されることも多々あります。それでもスキンシップ、愛撫だけは同じようにしています。場合によっては、寝床で妻にセンズリをお願いすることもあり、私が腕枕をしながら妻の首筋や肩を揉んでいる間に妻は右手で玉を左手でペニスをしごいてくれます。特にセンズリは単にしごくだけでは中々射精に至らないので、「もっとしっかり剥いて」とか「袋をサワサワして」などと気持ちの良くなるように私から誘導しています。自分でするのではなく妻が寝ながらしてくれるセンズリは格別です。射精の際は布団を汚さないよう私が自分でペニスの根元を強く抑えて精液の漏れを止めています。 夏などは暑いので私はスッポンポン、妻ははしたないとのことでパンツの上に綿のネグリジェで敷布団の上に移ります。私達は寝る前に本を読むことが多いので、窓を全開にして枕を胸の下において、肩を並べ・・・というより、私が妻の横に並ぶという感じです。妻が決まって右手を体の横に置いたまま左手ひとつで本を読むのですが、その右手の手の平の上に、隣でうつ伏せになっている私が自分の玉を置くように左足を上げて跨り、そのまましばらく互いに本を読みます。妻は山崎豊子などフィクション系、私はノンフィクション系ですが最近は司馬遼太郎が多い。その間妻はゆっくりと思い出したように私の袋などを握ったり引っ張ったりしてくれます。うつ伏せは首がだるくなることが多く、うつ伏せ以外の姿勢で本を読むときもあります。私が全裸、仰向けで本を読む体勢になり、私の右横に妻が私の頭の方を向いて正座し、膝の上に枕、その上に本を置いて読むこともよくあります。その際、妻は右手で私のペニスや袋を触りながら、私も右手で妻の膝の間に手を入れて股間部の湿ったあたりをゆっくりとまさぐります。この姿勢で二人とも黙ったまま静かに読書の時間が過ぎて行きます。これが必ずしも性交に至るわけではなく殆どの場合、単に触れ合うだけで終わることが多いのが現状です。 読書をしないときもあり、例えば腰が痛いと妻が言えばうつ伏せにさせて、ゆっくりと腰を中心に首、肩背中のあたりを両手で押えてやります。私の上半身の体重をかけてゆっくりと押えると気持ちが良いようで、妻はこれが結構気に入っていて、私が揉んであげようと言うと喜んでうつ伏せになります。揉むに当たって、私はいつも妻のパンツを脱がせ、パジャマも首までたくし上げ、場合によっては全部脱がせることもあります。それでも特に抵抗することもありません。それよりも腰や背中などを揉んでもらえることが勝っているのでしょう。腰などを揉んだりするときは、互いに全裸になっていることからセックスに至ることが多いように思います。つまり、私は腰だけではなく首から肩、腕、背中、尻、太もも、ふくらはぎ、足の裏、そしてその逆の順で揉み上がる。途中、太ももや尻を揉むときはどうしても性器も揉むと言うか、撫で回すことになり、自然と愛撫が進むことになります。あとは自然に性交を交えたマッサージのようなプレイのようなことになります。 体を揉むに当たって、必ずしも全身ではなく上半身だけを揉むことも当然あります。本当に腰や背中が痛いと言うときなどは“遊び”なしでしっかりと揉んでやりますし、場合によっては全裸になった尻の上に馬乗りに跨って、ついでペニスの先っぽを膣に入れてそのままゆっくりと前後に動きながら腰や背中を揉むというパターンもあります。 要はスキンシップを通じて互いの愛情表現を交わしているということかと思います。 特に男は口に出して「愛している」等とは言いにくいので、スキンシップ、態度でそれを表現しています。腕枕、髪や体を撫でる、しっかり強く体を抱いてあげるということで「私はお前をちゃんと見ているよ。大事に思っているよ。いとしく思っているよ」というメッセージを送っていることになるのではないかと思っています。妻も黙っていますがそれを感じ取ってくれているように思います。セピア色の地味な暮らしですがこのまま幸せに暮らしたいと思っています。
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