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ページ番号829

母の決意

大山 登 (南関東)   2011-07-05

母は、男の子を産むことを楽しみにしていたが、女ばかりの姉妹の末っ子であったから、
いざ男の子の母となると、多少の戸惑いを感じていたという。

私が13歳の春、"お精通”があった。
母は、私の下着の汚れから、それを知った。
”とうとう、其の時期が来たか、どうしたらいいのだろう?”

それを父に伝えると、父はそっけなく、次のように言った。
「何もすることはないよ、ほって置けばよい。別に、悪いことをした訳ではないし、
健康に成長している証だ。あまり心配するな、息子のことはお前に任せるから、好きなようにしろ。俺がお前に教えたように、息子を一丁前の男にしてやるのが、母親の務めだ。」

父は、男5人、女4人の兄弟の3男坊であったから、自然に、男と女のすることなど
見聞きしたであろうから、特に教えることは無いと考えていたのであろう。

” 息子を一丁前の男にしてやる”とは、どういう意味であろうかと、母は、毎日考えたようである。

学校から帰ると、母が、待っていた。

「汚れ物を、隠したりしないでね。」
「何のことなの?」

私はしらばくれていたが、母にはかなわなかった。

「オチンチンを見せなさい。」

母は、私のオチンチンをつかみ、

「一丁前に、勃起してるじゃないの。」

そういいながら、包皮を剥き始めた。

「イテテ・・・」

と言ってみたが、実際には自分で剥いていたので、難なく亀頭全体が現れた。

「まあ、鮮やかな色なのね・・・。気に入ったわ。」

気に入ったとは?どういうことなのか、私には意味不明であったが、母は、父の言葉を
思い出し、”私を一丁前の男にする”という決意を固めたという。
そして、何時の日か自分が育てた一丁前の男と肉体関係を結び、新鮮なザーメンで、膣を満たされ、歓喜の声を挙げて、母を侮っているに、
「あなたは、寝取られ親父だ。」
と言って、見返してやろうと思ったそうである。

しかし、その決意は、私の初々しい、ペニスを目の当たりにすると、父への恨みごととともに、きれいさっぱり失せて、”私を一丁前の男にする”ことを任されたことに、幸せを感じたそうである。
同時に、実の息子と肉体関係を、どのようにして結ぶかを、それ以来、思い悩み、考え続けていたそうである。

田舎の半農育ちの父は、早起きであったから、母も早朝から、炊事、洗濯、掃除と忙しく、こまめに動き回っていた。
それらが、一段落し、子供たちを学校へ送り出すと、休む間もなく、手先が器用な母は、針仕事や編み物に熱中した。
だから、”脚が棒のようになった”とか、”肩が凝っ”、腰が痛い”と、常に言っていた。
私がぶらぶらしている時には、肩たたきや、体の、按摩をさせられたものである。

その日、私は高校の夏休みで、家に居た。
母が、いつものように、
「ちょっと、肩がこっているから揉んで頂戴。今は、手が空いているのでしょう?」

母がうつぶせになった。

「マッサージは血行を良くする為にするのだから、心臓から遠いところから順番にするのよ。だから、先ず足裏からね。」

などと、薀蓄を垂れる。
うつぶせになった母の、足裏を両の拳でグリグリと押した。
それから、両脚のふくらはぎ、次に太ももを、足の方から、心臓の方向へ、揉んでやった。母は、”いい具合よ”などといっていたが、本当のところはわからない。何しろ、私には、按摩やマッサージの知識など皆無だったから、ただ闇雲に、手を当てて、適当に動かしていただけだ。
下半身の次は、上半身ということで、両腕の側面からマッサージを始め、次に背中、そして、凝りがひどいという、肩のマッサージをした。

「今日は、いつもよりも、”つぼ”がもまれて、とても気持ちがよいわ。」

私は調子に乗って、

「ここはどんな具合なの? 気持ちいい?」

といいながら、母の体のいたるところに手を触れ、押したり、揉んだり、摩ったり、軽く叩いたりしてみた。

「そうね・・・少し太ももの、後ろ側を揉んでくれない?」

母は、浴衣の裾を捲り上げ、色白の両脚をあらわにした。

私は、うつ伏せで開脚している母の脚の間に座り、両手で足首から、太ももを摩りはじめた。そして、摩る位置を次第に臀部に向けて移していった。
だから、私の両手は、母の腰巻の中に入っていった。しかし、母は、拒否する風を見せなかったので、私は次第に大胆になり、意図的に太ももの内側に手を伸ばしていった。
母は、最初はくすぐったいといって、盛んに体を右に、左にひねったりしたので、弾みで私の手の指先が、母の茂みに触れた。
それを感じた瞬間から、私のペニスはムクムクと勃起し始めた。

「今度は、背中を軽く揉んで頂戴」

と母が言うので、私は、両脚を開いて、其の上に母の両脚を乗せた。
そして、背中のマッサージを始めたが、私の上体を前方に倒すと、勃起したペニスの先端が、母の臀部の割れ目に触れた。
私は、パンツを穿いていたので、直接肌と肌が触れ合うということは無かったのだが、母も当然、私の硬直したペニスとの間接的な接触を意識したのであろう。また、太ももの内側をマッサージされたこと加えて、茂みに触れられたこともあって、気が付くと、母の顔が、紅潮していた。

「何だか、硬いものが当たるような機がするわ。悪い子ね、あなたは。」

「今度は、私がしてあげる。横になりなさい。すっかり硬くなって勃起しているんじゃないの。いっぱい、溜まっているのでしょう?」
「まあ、まあ、こんなにいっぱい、我慢汁がでているよ。」

後日談では、母は、私の自慰を、何度も目撃していたという。
私は、母の手で、射精に導かれたのである。

母は、上手であった。といっても、母以外の他人に、射精させられたことは無いから、比較の仕様も無かったが、その快感れは、自慰とは比べ物にならなかった。
直ぐには、陰茎に触れず、まず、じっくりと陰嚢を揉みほぐし始めた。
我慢汁が、滴りだすと、ゆっくりとしたストロークで、精嚢を軽く揉みながら、陰茎をしごき、亀頭をなで、裏筋から鈴口を撫で回し、亀頭冠を摩った。
睾丸が陰茎の基部に上がってくると、動きを止め、陰嚢をつかんで下に引いた。
射精感が少し遠のいた。
勃起の度合いが緩むと、また、手を動かし始めた。

「もう我慢できないよ」
「我慢しなくていいのよ」

私は一気に、射精した。

もっとも、私には、姉と弟が居たから、母が、私の溜まったものを抜く機会はそうそう多くは無かった。

私が、大学生になった19歳の春、母は43歳であった。
私が、受験生という境遇から抜け出すまではと、母は、父の”息子を一丁前の男にしてやれ”という言葉をきっかけとした母の決意を、胸にしまいこんでいた。
そして、それを具体的に実行に移す絶好の機会は、間もなくやって来たのである。

私は、母が上位の対面騎乗位で、童貞を失った。いや、童貞を母に捧げたのである。

「射精する瞬間の、あなたの顔、そして、射精直後の満足げな微笑みが、私は大好き。」

と母は、語っていた。

姉が嫁ぎ、弟が地方の大学へ行ってしまったので、母と私は、それほど機会は多くは無かったが、存分に、性交を繰り返すことができた。

母は、私との性交で、絶叫を繰り返すようになり、母の念願は十分かなえられたという。
ただ、父には、最後まで”息子を、一丁前の男に仕立てた”ことを、言わなかったという。

母との、性交の想い出は、一抹のペーソスを伴いながら、私の心の奥底にひそかに眠っている。

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12659 おおらかな時代 2011-08-15 近親好き   
おおらかでいいですね。私のSFも息子と同衾しています。