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筆おろし

GG (千葉県)   2011-07-01

小用を足して母の寝室の前を通りかかると、すっと扉が開き、寝室に引き入れられた。

「今夜はずいぶん冷えるわね。寒くて、なかなか寝付かれないのよ・・・
あなたは、どう? 寒くはないの?」
「それほどでもないよ! それで、なにか用でもあるの?」
私は、心中を悟られないように、多少ぶっきらぼうに返事をした。

「寒くて、寝付かれないと言ったでしょう。体が温まるまで、ちょっとの間だけでよいから、一緒に寝てちょうだい。いいでしょう?」

とうとう、その時が来たか。何となく、予感がしていたが・・・
私は、さも渋々とした風をしながら、母の布団に入った。
布団は、十分なぬくもりがあった。

「あたたかいじゃないか、言ってるほど、寒くはないね。」
「あなた、いつもそんな格好で寝るの? もっと薄着になりなさいよ。」
「十分薄着だよ。これ以上だと素裸になるしかないね。」
わたしは、猿股に母の手作りの、七分丈の寝間着代わりの浴衣?が定番であった。

「そんなこと、どうでもいいじゃないの。」
「私には、あなたと一緒に寝た記憶がないわ・・・。
だから、こうしていることは、とても嬉しいわ・・・」

私には、幼児の頃に誰と一緒に寝ていたか、確かな記憶は無いが、小学校の低学年頃は、父親と寝ていた記憶がある。
言われてみれば、確かに、母と一つの布団で寝るのは、大げさに言うと物心ついてから、初めてに近い経験である。

「ねえ、ちょっと、私の話を聞いてね」
母は、私の太ももをさすりながら、話し始めた。
「わたし、病気だったの。」
「え、そんなこと知らなかったよ。」
「恥ずかしい病気よ」
「恥ずかしい病気? 何だよ」
母は、やにわに私の手をつかむと、自分の秘部の上に重ねた。
「父さんが、原因よ。お医者さんに行くのだって恥ずかしいでしょ?」
その頃は、赤線地帯があり、性病は良くある話であった。
しかし、主婦ともなると、恥ずかしかったことだろう。
「それで、もう、治ったのだろう?」
「ウソよ、ウソ、ウソ。 でも、父さんが、外で遊んでいることは確かよ。」
父は、給料を、給料袋のまま母に渡し、家計はすべて母に任せていた。
しかし、父には副職があり、そちらから多額の収入があったようだ。
また、そちらの関係で、夜遊びも盛んであったようだが、昼間はそんなことを感じさせない、まじめな御役人の端くれであった。
「だから、父さんとはしないことにしたの。」
「何をしないことにしたの?」
「馬鹿なことを聞かないものよ」
母の手が、いつの間にか私の股間に移り、猿股越しにペニスに触れていた。

それから、母はそ知らぬ風に、昔話を始めた。
大半は、すでに聞いたことがある、これといってよりとめのない話であったので、
私は、適当に相槌を打っていた。
すると、現金なもので、“期待を裏切られた”という思いも重なって、先刻まで
いきり立っていたものが、萎えてきた。
「ねえ、面白くないの」
母は、腕を伸ばして私を引き寄せ、というより、自分の方から私にぴたりと、体を押しつけてきた。
母の肌のぬくもりが伝わってきた。本当は心地よかったのだが、
「ちょっと、気持ち悪いなあ。」
私が、背を向けると、私の耳元に口をつけ、ささやいた。

「そんな意地悪しないことよ」

「私、あなたが、自慰をしているところを、見たわよ。 気持ちよかったでしょう?」
「そんなことしたことないよ! でたらめだよ!」
「嘘言わなくてもいいのよ。母さんは、あなたが捨てティッシュを見たわ。ザーメンの
臭いががしたわ! とても良い薫りだったわ。」

ささやきながら母は、背後から私の股間に手を差し込んで、中指をたて、ミリオンダラーポイントを押した。快感が、体中を走った。しばらくは、猿股の越しに私のペニスをもてあそんでいたが、やがて猿股の裾口から手を差し入れ、陰嚢をつかんでもみはじめた。
自慰では陰嚢に触れることはほとんどないから、それは新鮮な刺激であった。
私のペニスが硬直すると、陰茎の付け根から亀頭へと、刺激を加える位置を変えて行った。
背後から両脚の間へ手を差し込み、掌を上に向けてペニスを握る体勢だから、必然的に陰嚢と裏筋が刺激された。

「あらあら、ずいぶん堅くなっているわ。それに、濡れているじゃない。」
「もう手を離して。射精しそうだよ。」
「かまわないわ。射精するところを私に見せて頂戴。お願いだから。」

今更どうしようもないな、というより本当はそうなることを予期し、期待もしていたのだが、それども、見栄を張って?いやいやながらという風を装って、私は仰向けになった。
母は、私に覆いかぶさりながら言った。

「あなた、女の子とキスしたことある? フレンチキス教えてあげるわ。」
唇を合わせると、舌を入れてきた。
「あなたも、舌を入れて」

言われたとおりに私も舌を入れて絡ませ、吸った。
気が付くと、私のペニスは、いつの間にかしっかりと母に、にぎられていた。
フレンチキスに気をとられ、萎えていた私のペニスは、再び硬直してきた。
それを確認すると母は、上掛けを外し、立ち上がって電燈のスイッチを入れた。
「明るすぎるじゃない?」
「これ位で、丁度いいのよ。よく見えるようにしたいの。」
母は、私の猿股の紐を解き、そして、猿股を剥ぎ取った。
「まあまあ、立派に陰毛が生えそろって、一丁前になったのね。」
母は、包皮をそっと引き下げ、亀頭部を完全に露出させた。
そして、しげしげと、私のペニスを眺めていた。
「すばらしいわ。新鮮な色ね。」
見つめられると、高まりが増し、ペニスが、ピクン、ピクンと波打つ。
「出ちゃうよ!」
「判っているわよ!」
母は、私の陰嚢を掌に納めると、足下の方向に引いた。
射精感が、少し遠のいた気がした。
母は、それでもいきり立っているペニスの亀頭に軽くキスをした。そして、鈴口に舌先をあて、あふれ出た我慢汁をすすりながら、小刻みに亀頭を刺激した。
全身に熱い快感が走ると、ドビュ、ドビュー、ドビュ、ビュ、ビュと5回ほどの痙攣を繰り返しながら、私は射精した。

「まあ、まあ、元気がよいこと。」

母は、ぬれタオルを持ってきて、飛び散った精液を始末した。
射精の瞬間は、たぶん口をつけていたから、一部は、口に入ったようだ。

「気味悪くないの?」
「全然、そんなことないわ。おいしいということもないけれど。」
「あなただって、私の乳を飲んだじゃない。同じことよ。」

しばらく、ボーと余韻に浸っていると、母の腰巻きの紐を解くように、私に言いつけた。
言われたとおり、私は紐をとき、母の寝間着をはずした。
母は、普段でも和服を愛用している昔風の人であったから、腰巻の下には何もつけていない。寝巻きを外すと、全裸である。

わたしたちは、再び抱き合った。
そして、先刻と同様に、フレンチキスを長いこと楽しんだ。

母の手が私のペニスに触れたのを潮時に、私も母の秘部に手を当てた。
そして、中指をたてると、十分にぬれた母の膣に、難なく入った。

「そのあたりね・・・いい、感じよ!」

訳もわからず、わたしは夢中になって、中指を動かした。
時折母は、体を震わせたので、多少の快感は得ていたのであろう。

「母さんの秘部をみせて。」
私は、おそるおそる言った。
「いいわよ、よく見てちょうだい。あなたの好きなだけ。」
母は、両脚を大きく開き、よく見えるようにと、腰の下に、二つ折りにした座布団を
入れた。
柔らかく、しなやかな陰毛が、薄く逆三角形に生えていた。
充血した、大陰唇、小陰唇、きれいな赤みがかったピンク色をしていた。
クリトリスが、包皮からのぞいていた。
しばらく眺めていると、時折ぴくぴくと痙攣し、膣口が、大きく開いたり、閉じたりした。
クリトリスは、包皮に隠れ、愛液が、流れ出てきて、敷布を濡らした。
私は、思わず母の性器に口をつけた。
母は、私の好きなようにさせていた。

「クリトリスは優し舐めるのよ・・・それでいいわ」


「もういいでしょう? 母さん、我慢できなくなってきたから。」
母は、私をうながした。

これからは、私に任せてちょうだいといいながら、母は私に乗った。
直立した私のペニスに手を添え、膣口にあてがった。
私のペニスは、母の膣に、吸い込まれた。
母は、非常にゆっくりと、腰を上下や前後ではなく、水平に回すように動かした。
そして、膣を絞めたりゆるめたりした。私のペニスを、しっかりと自分の膣に覚えさせるつもりだったのであろうと、後刻私は気づいた。

「深呼吸しなさい。大きく、おなかをふくらませて、ゆっくり息を吐くのよ。」

「陰嚢をつかんで! 下に引いて。」

母は、私の高まりを見ながら、暴走を抑えようと、次々と指示するのであった。

「ペニスの先端にに集中して」

何を言っているのかその意味が私には、よく判らなかった。

ジワリと、しかし確実に、快感が体全谷行き渡っていった。
気が付くと、母の体も紅潮している。
小鼻が、ピクピクと動いている。

母の上体が、反りかえると、私のペニスの先端に暖かいものが、降りかかったような感触が伝わった。実のところ、それがはっきりと意識されるようになったのは、相当経験を積んでからのことで、初体験の時には、何も判らなかったのであるが。

私は、射精し、母は、小さく声を上げた。

それは、私19歳、1年間の浪人生活をした後、一流ではないがそれなりの伝統校の1年生であった。そして、母は43歳の秋のできごとであった。

当時、私の家族は、3歳年上の姉と、2歳年下の弟、そして、父と母の5人家族であった。
母と、私の2人だけが、家に居るということは、めったにないことであった。
そのときは、偶然、父は出張、姉は卒業研修、弟はクラブの合宿で留守だった。
さらに、幸運にも母の安全日だったのである。

私たちに好都合な時は、なかなか訪れなかった。
悶々とする毎日であったが、母は、私の風呂上がりを察知すると、タオルを持ってきて、私の体を拭く振りをしながら、私のペニスを観察し、触れたのである。
もちろんその逆のケースもあった。そのときには、私は母の膣に指を入れた。

夏になると、毎日行水をした。
私は、姉や弟が、帰宅していない時間帯を選んでいた。
安全日が重なると、二人で風呂場に入り、互いの体を洗い、つかの間の交接を楽しむことができた。

間もなく、姉は卒業と同時に父の選んだ男性のところに嫁に行き、家を出て行った。
気位だけは高い弟は、毎日クラブ活動にうつつを抜かしていたから、成績は悪く父はたいそう心配していたが、地方の福祉大学なるものにかろうじて合格した。そして、地方都市で下宿生活を始めることになった。

娘は片付き、弟の心配もひとまずなくなったので、父は安心して仕事にうちこめるようになったようで、多忙になったようだ。頻繁に、出張する。おかげで、日本国中の名産品を、
口に入れることができた。

母と、私だけの時間が増えたことは確かだが、そうなるとかえって、“いつでもできる“と
言う思いが先に立ち、案外、疎遠になるものである。
もっとも、母は避妊具をつけた性交を嫌っており、しかも、当時は、女性が避妊具を購入するという行為は、私たちが住んでいた小さな田舎町では、難しかったこともある。
また、父の不在と母の安全日が重なることは、そうそう無かった。
加えて、父は、出勤時間は決まっていたが、帰宅時間は仕事の都合と言っていたが、一定ではなかったから、出勤中で不在といえども、安心はできなかった。
母が言うには、父は母の安全日を、手帳にメモするというような一面をもっていた。
私達は、慎重にならざるを得なかった。

そういえば、私が高校生の頃、何かの拍子に、父が隠していた避妊具を見つけ、1個失敬して、悪童どもに見せびらかしたことがあった。
父は、1個不足していることに気づき、母を詰問したということであった。
母には、とんだ濡れ衣であったから、“知らぬ、存ぜぬ”を言い続け、最後には
「あなたは、外で何をしているか、私は知っているわ。そんなに、若い娘がよいなら、別れかれてもいいのよ!」と、言い返すと、父は、
「息子と、したのならいいけどな・・・。」と、つぶやいたということであった。

「母は、その言葉を聞いて、“息子とならば、許されるのか”と、何か胸のつかえが取り除かれた思いがしたという。
母親が、息子の“筆おろし”なるものをするという話は、昔は、田舎では、珍しいことではなかったようである。
その頃は、赤線も健在で、“トルコ”もあちこちにあったから、息子に小遣いを与えて、その筋の女に“筆おろし”をさせるという話は良く聞いたものである。
母も、私が大学生になった時には、小遣いを与えてと、考えたこともあるようだが、“病気”のことを考えると、それはできないと思ったということであった。

私は、そんな経緯があったとはつゆ知らなかったが、そういえば、その頃から母は、機会さえあれば着衣越しに、私のペニスに触れるようになった。
たとえば、学校から帰宅し、洗面所で顔を洗っていると、知らぬ間に背後に忍び寄り、ペニスをつかんだり、休日に、昼寝をしていると、ペニスをつかんで、起こしたりしたのである。また、私が居るときには、扉を解放したまま入浴し、私に彼女の裸体を敢えて見せつけたりしていた。そのようなときに視線が合うと、少しほほえんで、こちらに秘部を向けるのであった。
しかし、私が受験生であった時期には、それ以上のことはなかった。
母が、積極的?な行動をとるようになったのは、すでに、述べたとおり、私がともかくも、大学に入ってからであった。

時には、母の挑発に乗って“する?”と言うと、決まって意地悪げに“お嫁さんとするのよ”と言うのが常であった。

授業を終えて帰宅すると、互いに抱き合ってフレンチキスをするのが、恒例になっていた。
父が帰宅しないうちに、入浴をしろとせかす。
私が入浴していると、わざわざ調理の手を止めて、浴室に入ってきて私のペニスを握り、入念に亀頭冠をしごいた。おかげさまで?1ヶ月もすると、私の亀頭はずいぶんと大きくなり、亀頭冠は隆起し反り返ってきた。

「カリ高になったわねえ・・・。きっといい味よ・・・。」
調子に乗って、
「味わってみる?」というと、
「後でねと言った」

母は、私とは比較にならないほど、性的経験が豊かであったろうから、経験が乏しく、加えて、まだ完塾までには成長していない私のペニスでは、もの足らなかったのであろう。
私の、ペニスが母の膣を十分に刺激できるように、特にカリが隆起し、そして、射精のコントロールがある程度できるように、私を訓練?したのである。

父が、出張で不在の時には、存分にできそうなものだが、巡りあわせの関係で、安全日と重なることは、滅多になかった。
避妊具なしが、私たちの性交の基本条件であったので、安全日か否かは、重大な問題であった。何しろ、私は経験不足だったから、母が気をつけていても、不意に射精することがあったからである。だから、本番?の前に、母の“ハンドジョブ”で、射精させられたものである。しかし、この方法は、尿道にザーメンが残っている場合もあるので、必ずしも、万全ではない。やむを得ず、コンドームをつけてすることになるが、コンドームの購入は私の仕事であった。

挿入に至るまでのプロセスも、フレンチキスに始まり、全身の愛撫、オーラルセックス、そして挿入というものであった。

母との性交の体位は、母が上になる、ごくノーマルな対面騎乗位であった。
経験豊かな母が、私の高まりを判断するのに好都合で、行為のペースをコントロールしやすかったからである。それに、母はどちらかというと、小柄であったし、私は比較的大柄であったから、女性上位の騎乗位は、疲れにくく、好都合であった。
後に母から聞いたことであるが、母の体位は、工夫の賜物であった。
騎乗位の母は、ペニスをすっぽりと加えるように、彼女の膣におさまると、上体をやや後方に倒すというより、やや傾ける様に立てていた。
それは、まだ、亀頭冠の隆起がやや不足していて、メリハリに欠ける、私の幼いペニスが、彼女のGスポットに確実に当たって刺激できて、母が絶頂感を得るための快感が増すこと、また、上体を立てると、ペニスの先端が、支宮口に届きやすく、これも快感を増す効果があった。加えて、結合部を私によく見せることができるという利点があったからだという。
そして、腰を前後や上下ではなく、水平に円を描くように回すことにより、私のペニスが、あたり鉢でゴマをする時のすりこ木のように、彼女の膣の中で円を描くように回転運動をして、ペニスの最も敏感な部位への刺激を和らげ、射精コントロールが容易にできるからということであった。
一方私には、母が、絶頂感に到達したときに、紅潮した上体を大きく反らすところを、下から見上げることができるので、私は大いに気に入っていた。

母は、私が射精すると、膣口を閉め、ゆっくりとペニスをしごくように、膣から抜き出した。そうすることにより、母の膣内に射精された私の精液のすべてが、一滴残らず、母の膣に吸い取られるような、快感が私を襲うのであった。

後戲にも、念入りに、かなり時間をかけた。おかげで、私は直ぐに元気を取り戻し、母が完全に満足するまで、複数回の性交を繰り返すことができた。
翌目が覚めると、周りのものがすべて黄色く見えることもあった。

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12654 親子相姦 2011-08-14 母親好き   
いいですね 理解のある母親で これって近親ものですね。