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ページ番号758番
★ 漁火の夜 ★ 亀男 (九州) 2010-07-12
これは早く亡くなった祖父から聞いた話です。
祖父は戦後間もなく、集魚灯を使った漁を始め1960年代に入ると、造船ブームにも乗り
船は大型化して、人手も足らないほどだったそうです。
世の中は高度成長時代、中卒の子供でさえ金の卵ともてはやされていました。
1度出漁すると、ひと月弱は戻らない仕事に、中々何処も人手不足で困っていたといいます。
そんな業種でも、3月になると中学を卒業した田舎の子供達が就職してきます。
その時代は、せっかく来てくれた中学出たての子供達を、最初の期間だけは可愛がるだけ
可愛がり、一人前になるまでは心底皆でお世話したそうです。
まずは船酔いを軽くするため、酒の飲み方から漁師としての仕来りまで、いざ船に乗り込んでも
困らないように、殆んどの知識を約2週間ほどで、船団の漁猟長や網本の家に泊り込んで
教えられたそうです。
しかし、漁は危険がつき物です。
何も経験のない子供の事故が多く、命を落としたり手足を失くすこともありました。
そんな訳で、最初漁に出る前の晩は、何も知らずに命を落とす事の無い様、若い嫁を貰った
船員達が、その子供達のために自分の嫁の体を提供していたとのことでした。
都会に出れば、お金で女は抱けますが、自分の最愛の嫁の体を提供することで、若い後輩の
無事を祈り、悔いなく仕事に打ち込めるようとの願いもあったとのことです。
まだ若い嫁さんたちも、何も文句を言わずその仕来りをこなしていたということです。
明日は出漁という前の晩、旦那は早く家を出て、船の中で一晩過ごします。
まだ童貞の子供達は、何も知らされないまま若い嫁さんの接待を、1人ずつ受けて
やがて日の出とともに船へ帰ってきます。
子供達はやがてひと月余りは、船酔いで苦しみますが、出漁前に優しく抱いてくれた
先輩たちの若い嫁さんを思い出し、それを毎日の希望として頑張り、そして一人前になっていった
とのことでした。
自分の体を使って、漁から無事帰ることを教えてくれた港の女性達。
それを提供した若い漁師達。
全て古き良き日本の風習だと思います。
今は中卒で船に乗る子供は、ほとんどいないし、日本人が少なく殆んどが中国・フィリッピン
からの出稼ぎらしいです。
こんな話しでも今では聞けなくなるくらい、その当時の漁師も居なくなってしまいました。
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