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日記番号:692

夫婦の秘密

ひろし(都内)


  感想集

調教一週間 (はじまり)

次の日に約束通り孝則さんは、午後に私達夫婦の自宅に車で妻を迎えに来ました。
妻は朝早くからそわそわしながら、どの服を着ていくか迷っていました。

今日の誘いを断るかもと言いながら、本人は満更でも無い素振りに少し嫉妬している自分がいました。

玄関口に立った彼は、私の妻を呼ぶ様に私に言いました。

妻が玄関口に来ると、小声で二人は話を始めましたが、私は、ただ廊下で二人の様子を眺めているだけでした。

孝則さんは何か妻を説得している様に感じました。
しかし何を話しているかは私には聞こえません。
妻は時々顔を赤く染めて下を向いたり、小さく頷いたり、時にはちょっと驚いた仕草をしていました。

話が終わると、妻が私の方に来て
「話は終わりました、これから孝則さんのところに行ってきます。
一週間したら必ず戻ってきます。
それで貴方は満足なの?
それまで寂しいと思うけど、私の事愛してるよね?
待っててくれますか? 一人で残して置くのはとても心配だけど・・ 」

私は「大丈夫だよ、俺の事は、それより沢山楽しんでおいで」と言って妻を強く抱きしめました。

私から、ふっと身体を話した妻は、それから一週間分の衣服・洗面道具・化粧品と下着をトランクに詰めて家を後にしました。

玄関を出た後の妻の後を家の窓越しにじっと見ていました。
孝則さんの車に乗り込み、二人は楽しそうに話しをしながら家を後にしました。
その時の妻の嬉しそうな顔が大きなギャップとなって私を苦しめました。

私は今や、ただ一人家に残されて、心に大きな穴がぽっかり空いてしまい何も手につきませんでした。

そうです、これから最初の一週間の調教が始まるのです。
妻はM女に改造されてしまうのです。
私はとても大それた事をしてしまったと後悔しました。

その日の夜迄はなんとか我慢して連絡をしない様にしました。
がもう限界と思い、妻の携帯に何度も電話しましたが、全く応答がありませんでした。
LINEでもチャットしましたが既読にもならず、一日中悶々としていました。

妻と過ごした今までの性体験が走馬灯の様に浮かんでは消え、浮かんでは消え、他の事は何も考えられません。

最初の一日目は全く連絡がつかず、流石の私も妻の身が本当に心配になってきました。
最愛の妻が犯罪に巻き込まれていたらどうしよう、もし事故にでもあっていたら、こういう時はなぜか良くない事ばかり考えてしまいます。

私も一緒に行けば良かった、なんで貸出なんてしてしまったのだろう。後悔ばかりが先に立ちます。

しかし、相手は一応堅気の人物で、身元も当然確認しています。
住所も分かっていましたので、家を直接訪問し、二人の行為を確認しようとも考えてみましたが、結局はその勇気も無く、何もできませんでした。

こうして悪夢の様な一週間が過ぎて、夕方に妻は疲れ切った顔をして私の元に帰ってきました。
「お願い、少し休ませてください」と妻。
私は妻をそっとしておきました。

妻が帰宅したその日の夜、孝則さんから幾つかのメールが私のパソコンのメルアドに送られてきました。
メールには孝則さんによる妻への詳細な調教内容が書かれていました。

「調教一日目は、奥様とノーマルなSEXをさせていただきました。

最初に肉奴隷としての自分の立場を認識させる事、そして奥さんに覚悟してもらうために、全裸で第一条の肉奴隷の誓いを大声で復唱させました。

その後、私の命令に従わせる事を誓わせました。
奥さん、かなり緊張してビザをガクガクさせていましたよ。
その後は約束通り、綺麗に剃毛させて頂きました。
今後は腋毛はそのままにし、常に剃毛させます。

私のマンションに居る時は首輪もさせる事で奥さんに納得させました。

やはり、かなり緊張しているのがわかりましたので媚薬を飲ませてから目隠しをして何度も奥様を味見をさせていただきました。

智子は本当に男好きのする、肉感的で豊満でやらしい身体をしていますね。

たっぷり楽しませていただきました。
そしてSEXが大好きな雌だとすぐわかりましたよ。

しかも、ご主人は今まで知らなかったと思いますが、間違いなく真正のM女です。
 
さて、調教二日目は、彼女のオマンコに小さなバイブを挿入してテーピングでしっかり止めて私の経営する中華レストランに連れていきました。

そこで二人で一緒に、中華を食べてから、私の知り合いの写真館に電話を入れて彼女を連れていきました。

食事している時はこれから何が起きるかも知らずに無邪気に料理を美味しそうに、楽しんでいましたよ。
ただ、バイブのスイッチを入れると、身体を左右に揺らしながら愛液を垂らしていましたよ。
彼女は全く知りませんが、私は毎回SEXの前に、媚薬を飲ませて彼女をその気にさせ
ていました。

食事の後、車で少し離れているある場所、写真館にお連れしました。

写真館の親父は、私の昔からの知り合いで心配は不要です、既に70歳になりますが、未だに現役でかつ縛りの名人でもあります。
智子を見るなり、大喜びで縛りを実践してくれました。

 その時の写真を添付しますので、どうぞ楽しんでください。

智子は縛られると直ぐにMの本性を露わにしましたよ。
おまんこを「ぐしょぐしょ」にして快楽に顔を歪めていましたよ。

 そして、最後には自ら老人のチンポを欲しがっていました。
命令すると男達の前でオナニーショーも実践してくれました。

これを見たら、ご主人も必ず興奮すると同時にショックを受けるでしょうね(笑)」

そしてご丁寧に、そのメールには何枚もの写真が添付されていました。
そこには大きな老人のペニスを咥えて苦しそうに顔を歪めている妻の顔がありました。

更に全裸で上手に(素人では絶対できない)縛られた妻の立位の写真もありました。

それだけでは無く男二人に口とオマンコを犯されながら、串刺しにされている写真や、プレイの合間で楽しそうに笑っている妻の顔も何枚かありました。

「調教3日目は、中華レストランが定休日なので、智子を連れていき8組のご夫婦の露出奴隷としてデビューさせました。

初めてという事もあり、智子のおまんこが丸見えの穴あきの網目のタイツで全裸の身体をつつんで男達をお客に見立ててお酌をさせました。
恥辱のために、かなり興奮していましたよ。
 
智子は複数の男性に乳首を引っ張られたり、おまんこのびらびらを見せたり、ディープキスを強制されたり、お尻を触られたり、視姦されながら、秘所をびしょびし
ょに濡らしていましたよ。

そして、その後で行われた8人の男達の餌食となり最後にはザーメンまみれとなっていました。
ご主人の思い通りの女に変身しています、こうご期待ですよ。」

 ここまでで彼のメールは終わっていましたが、孝則さんは肉奴隷誓約書の通りに妻を調教していると思いました。

その後は何が起きたのか私には簡単に推測する事ができました。

彼女はM女として完全に覚醒したと私は実感しました・・・・。 

後で妻から聞き出したのですが、調教の最終日は孝則さんの良く知っている都内のあるピンサロに連れて行かれて一日だけのピンサロ嬢として働かされる事になったそうです。

年齢が40オーバーという事で良い顔はされませんでしたが、妻のスタイルと顔立ちのおかげで、採用となったとの事です。

最終日はお昼から24時迄の勤務で妻は出勤したそうです。

髪は既に茶髪に染めていましたし、顔は厚化粧したので、妻の知り合いが来店したとしても分からないだろうとの事でした。

お昼の料金はわずか3,000円・・

最初は客足は少ないものの、夜8時以降は満席になるとの事、当然夜は値段が上がります。
妻は下着姿でポラロイドを取られて入口の指名用ショーケースに飾られたそうです。

その日は、妻を気に入ったという男性6人から指名されたそうです。
指名料は2,000円、妻はその半分をもらう事になったそうです。
妻は毎回、殆ど全裸でサービス、最後はフェラで抜いて、男達にはかなり満足してもらつたそうです。

その代わり、男達からは指でおまんこ掻きまわされて、何度も逝ったそうです。
ただ、最後にはおまんこがひりひりになったとの事。

ただ、妻からは衝撃的な言葉を私は聞きました。
「風俗店で働いた事無かったけど、やってみたら凄い楽しかった、普段なら絶対会う事も無い様な20代や40代の男性達との行為は身震いする程興奮したの!」

妻としては自分が堕ちるところ迄堕ちたと感じたそうです。
当初は、気持ちは落ち込みましたが、色々な男達にお金で買われる自分に、何故か物凄く興奮したそうです。
自分が物として扱われる喜び、性処理のためだけに使われる自分に身震いする程興奮したそうです。

その証拠に、今までに無い快感をお客である彼等との挿入無の性行為で感じたそうです。

これには私はかなりの衝撃を受けました。
「落ち込まないで貴方、私は貴方が私を愛していてくれているから、そんな気持ちになれるんだから」と妻に慰められました。

機会が会ったら是非チャレンジしたいけど、年齢的にもう構ってくれないかもね
とも言っていました。
 
こうして妻の最初の一週間は無事に終わりました。

それからも時々妻は孝則さんに呼び出されて出かけていきました。
しかし私の前では以前と変わりない妻そのものでした。

 変化ができたのは孝則さんとの調教を始めてから1か月ほどたってからでした。
その目つきや肢体やしぐさが自分の妻とはいえ、妙に艶めかしく、男好きする体と
なっていきました。
そんな折、長女が以前から付き合っていた男性と結婚する事になりました。

久しぶりに妻と対面した長女は開口一番「お母さん、なんかすごく綺麗になったよ
ね! なんかあったのかなあ、男ができたのかもしれないよ! お父さんしっかりしな
いと!」と小声で私に話しかけました。

女の勘は本当に鋭いと感心したものでした。

47歳となった妻も、この1か月の間に心身共に大きく変わりました。
 
娘と話しをしている清楚で貞節な妻、その妻が、これほど淫らな行為をしているとは誰も思わないでしょう。

その年の6月に結婚式は埼玉県の大宮市にある大型の結婚式場に決まりました。

そして、あろう事か私のS性はついに頂点へと達し、昔からの私の願望を果たしてしまいました。なんと娘の結婚式に、孝則さんも招待したのです。

表向きは、私の仕事上の昔からのお得意様という触れ込みで皆には紹介し、家族の
席に同席する事にしたのです。
 
妻に話した時に妻は何も言わずに承諾してくれましたが、一瞬、その横顔が悲しい
顔をしたのは忘れません。

 そして娘の結婚式を迎えるのは私にとって大いなる楽しみとなりました。

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