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日記番号:892

愛する妻を堕した男

志保の夫(首都圏)


  感想集

413.体験告白①

私たちが店に入ってから1時間ほど過ぎても他の客はまったく来ない。
休日のせいもあるが表通りはかなり人が出ているし、ビルの出入り口にも多くの人で賑わっていた。
大阪経済界の大物が利用していて客筋は良さそうだが、それだけでは飲食店の経営は成り立たない。
その事を藤川氏に訊くと、氏は笑いながら教えてくれた。
「この店は商売抜きなんです。年会費は集めますけど、この店自体の料金は無いんです。請求書は大木グループから各会員の会社に発行されて、会社の経理部から入金されますから。それに会社のマネジメントが一々その場で支払うことはしませんからねぇ。参考までに言いますけど、今日のお勘定もタダですから、はははは」
関西の商売は人間関係の信頼で繋がっている、と聞くが何となく不思議な気もする。
志保は美和夫人のパリの話に夢中になっている。
私は藤川氏と世界経済の動向について意見を聞く。
時計を見ると、11時を回っていた。
突然、藤川氏が立ちあがって話し始めた。
「せっかく皆さまとお目にかかり、楽しい時間を過ごさせていただきましたが、実は大変残念なんですが、今夜、私は会社のテレビ会議が急遽入りまして、中座させていただきます。予定では3時頃には終わると思いますので、終わり次第ホテルに戻りますので失礼します」
テレビ会議は私も月に1度ほどある。
時間も深夜12時頃から始まることが多い。それはニューヨーク時間に合わせるためだ。日本との冬季は14時間で、ヨーロッパとは8時間、ロンドンは9時間である。日本の深夜12時はニューヨークやヨーロッパではちょうど都合の良い時間なのだ。それに、彼らに合わせる理由は欧米の労働条件が非常に厳しいこともある。彼らには深夜労働など有り得ないことなのだ。
《愛妻日記集》の読者や作者諸氏には理解出来ないかもしれないが、国際ビジネスでは極めて常識的な事である。
藤川氏が出て行って間もなく入れ替るように大柄な体型をした中年紳士が入って来た。
その瞬間、店内に緊張感が走った。
斉藤支配人と松山店長が立ち上がってその紳士を迎えた。
その紳士はにこやかな微笑を浮かべて二人を制して私たちの方に来る。
「あの方がさっき主人が言った田辺さんよ」
美和夫人が小声で志保に言う。
それを聞いて、美和夫人の〝セカンドバージン〟を奪ったのはこの男かと改めて凝視する。
茶系のダブルのスーツを着た男は堂々とした振る舞いの中にも柔和な物腰で私たちの視線を受け止めている。高級ホテルマンやクラブの支配人のような慇懃無礼では無い親しみを感じさせる態度だ。
「二宮先生、奥さまいつもありがとうございます。今日は東京から先生のご友人が来られると聞いて是非お会いしたと思っておりました」そう言うと、私と神田氏に名刺を配りながら挨拶を交わす。
名刺には《OKETMコーポレーション代表取締役社長 田辺○○(仮名)》と記載されていた。
田辺氏は二宮先生に促されて美和夫人の隣に座る。
田辺氏と入れ替るように斉藤支配人が一礼をして店から出て行った。
その後、松山店長から渡されたビールグラスを持ち上げて乾杯をした。
「今夜のご婦人は皆さまお美しくて素敵な方ばかりで、ご主人様は皆さまお幸せですね」
「社名の《OKETM》は何の略ですか?」私が訊くと「オオキエンターテイメントを適当に略したんですよ。あまり深い意味はありません、はははは」と、笑いながら答えた。
「田辺さんの会社は大阪を中心に関西で飲食店を幅広く経営しているんですよ。今夜、皆さんがお泊りのホテルも大木グループが経営しているんです」
二宮先生が付け加える。
「上場はされないんですか?」
「初代の大木のオヤジさんが『分をわきまえて身の丈以上の事はするな』と、言い残しましたので背伸びをしないで地道にやって行くつもりです。それに私どものような業種は色々な方々とのお付合いもありますから、上場しますと透明性が求められますので・・・」
田辺氏は私の顔をしっかり見て話す。それはいかにも経営者の顔だ。
「浅井さんの奥さまは藤川さんの奥さまとよく似ていますねぇ。まるで姉妹のようで驚きました」
「そうでしょう?私もお会いした時驚きましたわ」
美和夫人が志保の代わりに答える。
田辺氏は美和夫人に親しそうに話かける。
「姫ちゃん、久し振りですね、相変わらず可愛いですね。ご主人とはさっき表通りで会いましたよ。これから仕事だそうですね?せっかくの楽しい夜なのに」
「ええ、いつもの事ですから・・・、ところで田辺さんはお身体の方はその後どうなんですか?」
「ええ、今の処は無理しなければ大丈夫だと主治医から言われています」
「どこかお悪いんですか?」志保が訊く。
「ええ、心臓の方が少し・・・、普通に仕事をしている分には問題は無いんですが、ストレスが大きくかかるような事は控えるようにと主治医から言われているんですよ。軽い運動はいいですけど、ゴルフは禁止されています」
「サックスも禁止されたんじゃないですか?」
二宮先生が笑いながら言うと「そうなんですよ。男としての楽しみが奪われるのはきついですね。腹上死は男の夢と思っていたんですけど、はははは」田辺氏は笑いながら答える。
「そりゃだめですよ。奥さまならいざ知らず、他の女性の時に突然死をされたら後始末が大変ですからねぇ。それに今は奥さまが入院されていますから、身を慎んでくださいよ」
「えっ!奥さまが?」びっくりしたように美和夫人が訊く。
「ええ、そうなんです。肝臓の状態があまり良くないようで、癌ではないので安心はしていますが、長くかかりそうなんですよ」
「お見舞いに行かなくちゃ。私、田辺さんの奥さまの夏代さんにはとてもお世話になったんです」美和夫人が志保の方を向いて話す。
「昔、そんな事もありましたねぇ。姫ちゃんは夏代の弟子でしたねぇ」
「美和さんが奥さまのお弟子さん?何かお稽古ごとを習っていたんですか?」志保が訊く
「お稽古ねぇ・・・、確かにお稽古の一種かもしれませんねぇ。ただし、あまり人様には言えないお稽古ですけど、はははは」
「そうよ!恥ずかしいお稽古だから、絶対に秘密よ!」
美和夫人は人差指を田辺氏の唇に当てる。

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