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日記番号:844

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幸治(都内)


  感想集

2章-4

園田家は江戸時代から続く旧家で、明治期に軽工業を起業して成功し、戦後財閥系大企業と合併するまで当主が社長をしていた。しかし、男子に恵まれず三代女系が続き、長女が婿養子を迎えて家名を存続している。
陽子は3姉妹の一番下で、長女の和子は中央官庁の男と結婚し、次女の正子はその年に大学を卒業して医師と婚約していた。長女の和子が婿養子を迎えたので取りあえず園田の家名は次の代も続くことになっている。ちなみに、園田家の娘と結婚する男子は全員東京の国立大学卒業者、つまり私の先輩たちである。
私に示された家庭教師の条件は(学習指導週3回以上、月謝10万円、交通費2万円、その他夕食付)である。
学習指導回数が週3回以上の〝以上〟の意味が初めは解らなかったが、後日、『学習指導以外にも陽子と会う回数も含まれる』と、分かった。その他の条件としては金銭的にも満足だし、それに夕食付は非常に魅力的だったので引き受けることにした。それによって私は他のアルバイトをしなくても学生生活ができるようになった。その反面、私の私的な時間はほとんど無くなった。
私が初めて園田陽子に会ったのは9月の最後の日曜日の午後と記憶している。
私が19才の大学1年生、陽子は15才の中学3年生だった。
色白の顔、透き通った黒い瞳、少し上向き加減の小さな鼻、小さな紅い口唇、背中まで伸びた漆黒の髪、純真な少女の姿が印象に残っている。その日は恥ずかしいのかずっと目を伏せていたが、時々上目使いでちらっと私を見る仕草が可愛いと思った。
その日から8年後の秋、少女は私の妻となった。
陽子との事、園田家の事はこの後も折に触れて話すことにする。

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