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日記番号:892

愛する妻を堕した男

志保の夫(首都圏)


  感想集

46.夫婦の寝室

私たちは自宅を購入するまではなるべく家具の数を増やさないようにしようと話し合っていた。たぶん、大阪での生活も2年くらいだろうし、東京に転勤しても家賃が高いので広い家には住めない。
私たち家具はダブルベッド、志保の嫁入り道具として箪笥3棹、2人用の食卓テーブル、テレビ、私の机が大きな家具だった。それでも、10畳のLDKと6畳の部屋が2間でいっぱいだった。子供が生まれたらベビーベッドを寝室に入れる予定だ。6畳の畳の部屋に箪笥を置くと実質4畳程の広さしかなかった。その部屋は両家の両親が訪ねて来た時に使ってもらう客間だ。実際、志保の母は関西旅行を兼ねてよく来た。
ベッドは二人で寝心地をよく確かめて購入した。二重マットを使用したハリウッドタイプだ。
何しろ二人が一緒にいる時間が一番長いのはベッドの上だからだ。
私たち夫婦にとってベッドは眠る、セックス、そして語り合う場所だった。
2人がベッドで話す内容は過去、現在、未来と多岐にわたるが、過去の思い出が多かった。それは私が意図的に話題をその方向に持って行ったからである。
志保の初体験の相手は私であるから、他の〝寝取られ族〟と違って、自分と出会う前の妻の男関係や性体験を聞き出す楽しみが少ない事だけは確かだ。しかし、それでも自分が知り得ていない妻の秘蜜の部分を探し出したい。
2人がテニスクラブで初めて出会った頃から私が海外赴任から帰って来るまでの6年間に集約された。もちろん、2人が出会う前の子供時代のこともあったが、多くの時間は私が『空白の5年』と称した期間に費やされた。
そして、その夫婦の語らいの一つ一つはやがて体験する非日常的夫婦関係に発展していく一歩だった。それは小さな源流がやがて集合して大きな川になって行くのと似ている。現在、私たち夫婦は表の日常社会とは別の非日常社会での夫婦生活も同時に体験している。その全ての一歩はこのベッドの上から始まった。

それは志保が大きな叫び声を上げて全身を痙攣した夜からだった。
痙攣が15分ほど続いた後、「私、どうしちゃたのかしら?」薄目を開けて私につぶやいた。
「志保が本当の女になったんだ、おめでとう」この言葉は今でもお互いによく憶えている。なぜなら、予めそう言おうと考えていたからで、2,3日前から志保の反応から予兆があった。その日は前戯に時間と濃度も濃くして本番に入った。挿入後もじっくり責めて志保を焦らし、そして最後は一気に登り詰させた。志保は激しく反応して絶叫して暴れ馬のように身体をバウンドして果てた。その後全身の痙攣が続いた。反応したのは身体ばかりでは無く膣がグイグイと陰茎を締め上げる。私も堪らず体内奥深くに向かって射精した。私の精液を吸収して志保は女として更に成熟して行くようだ。
私が帰国して結婚式の日取りが正式に決まると、志保はピルを飲み始めたと教えてくれた。それはスキンからの解放である。
志保は以前よりピルを考えていたようで、スキンの薄いゴム膜で遮断された接触には不満を持っていた。愛する人と直接に粘膜を触合いたいのは男も女も同じだと思う。しかし、中々決心がつかなかったのはやはり結婚と云う大義名分が必要だった。
愛する夫の精液を直接身体で受け、子宮に浴びる感覚はそれだけで女のメスとしての生殖本能を刺激し、満足感を与えると云う。
ピルは避妊の他にも生理前の精神の不安定にも効果があったようだ。それまでのイラつきや過敏な反応が少なくなった。志保が結婚後1ヶ月で女の悦びを感じるようになった要因にスキンを使わない生セックスも関係しているかもしれない。

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