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日記番号:892

愛する妻を堕した男

志保の夫(首都圏)


  感想集

45.新婚生活

結婚式は両家の家族と新郎新婦の職場関係と親しい友人を招待して行った。
志保の実家は和装か洋装か、神前か教会かで大変にもめたそうだが、結果的には父親の意見を優先して白の綿帽子姿の神前結婚式に落ち着き、披露宴は途中のお色直しでウエディングドレスを着ることで決着した。当然新郎の私もとばっちり受けて大変だった。
媒酌人は私が所属する部署の本部長に依頼するのが慣習になっているが、その頃は合併や組織の統廃合で社内がゴタゴタしていたので、志保の父親が勤務する会社の社長に依頼した。
友人はテニス部関係者の共通だったのでテニス部コンパのノリだったが、当時の部員の皆さんがまさか私たち二人が結婚するとは思わなかったようだ。招待状を受け取った時も驚いたし、志保が一年生の時に既に結婚を前提に付き合っていた事聞いて更に驚いたと、口々に言っていた。
披露宴で最も出席者を沸かせたのは志保が勤めていた会社の運転手の柴田氏が『志保姫の処女を守る会』の幟を私に贈呈したことです。私もうやうやしくその幟を受け取った。
私たちは新婚旅行として1週間の予定でパリに行った。
6年間と云う長い交際期間を無事に乗り切り、初めて一夜を過ごした感激は一生忘れない。
「もう、お家に帰らなくてもいいのよね?」成田空港近くのホテルで志保がつぶやいた言葉だ。
セーヌ川にかかるポン・デ・ザール橋に南京錠を掛けて私たちは永遠の愛を誓う。そして、観光旅行もほどほどにして異国のベッドで愛し合った。
新婚旅行から帰ると媒酌人や会社関係に挨拶をして大阪に戻った。
この時、志保の実家に泊まったが初めて志保の部屋に入ることを許され、初めて志保の部屋を見たが、如何にも女の子らしい白とピンクで統一された可愛い部屋だった。6畳程の部屋には机や箪笥、シングルベットを置いているので狭かったが2人は抱き合って眠った。
母親は客間に布団を2組用意していたが、志保の部屋で過ごしている内にそのままどちらからともなくベッドで眠ってしまったのだ。ただ、翌朝両親と顔を合せる時は照れくさかった。
小樽の実家と亡母の墓参りは日を改めてすることにした。
私たちは大阪北部に2LDKの賃貸マンションを新居とした。古いマンションだったので比較的安く借りることができた。会社までは電車を乗り継いで1時間弱の距離だ。そこには2年間住むことになる。
新婚生活は楽しかった。私たちは5年間の空白を埋めるように愛し合った、休日は一日中全裸でベッドの上で過ごした。志保もほどなく女の悦びを知り、新婚の性生活は増々激しくなった。
ただ、志保の希望で最初の子供は27才の時に産みたいと言うので、避妊はスキンを使っていた。そのスキンの消費量は1週間で1ダースが足りないこともあった。
志保の夜着はネグリジェだが、それは陽子と『志保姫の処女を守る会』からのプレゼントだった。
『守る会』からもらったネグリジェはまるでウエディングドレスのような豪華なデザインで、陽子さんからもらった実用的な物とは対照的だった。
『守る会』会員はオジサンが多く、彼らのアイドルでもある志保に自分たちの夢を乗せたらしい。
その他にも志保が自分で買った新婚旅行用の白いナイロン製のアンサンブルとセクシーなベビードールを持っていた。
結婚して驚いたことは、志保は大量のショーツを持っていた事だった。その理由を聞いて驚いた。会社の同僚のオバちゃんと、何かの話題で可愛いショーツが好きで集めていると言ったことがあったらしい。それが噂となって運転手仲間に広がって、彼らが何かイベントがある度にプレゼントするようになったようだ。それは結婚退職の日まで続いたらしい。
彼らは志保の前でそれを広げて志保がどんな顔をするか、どんな反応するか楽しみでエスカレートしたそうだが、中には紐パンや穴あきパンもあったらしいが、志保が不機嫌な顔をしたら止めたと言う。
彼らがショーツをプレゼントするにはもっと大きな訳があった。
これは退職する日にオバちゃんが打ち明けたらしいが、『志保姫色当てゲーム』と称して志保が穿いているショーツの色を当てるトトカルチョをしていたと言うのだ。
オバちゃんの話では、賭ける色の種類は白、赤・ピンク、黄・ベージュ、青・緑、黒、その他で、問題の確認・判定は朝、制服に着替える時オバちゃんかパートの女性が見て報告することになっていた。それを聞いて志保も理解したらしい。なぜなら、志保が制服に着替える時、いつも誰か更衣室にいたからだ。志保が遅刻しそうな時も、誰かが入って来たことを憶えていた。少し不思議な気がしていた。
白を基調として淡い色物は着たが、黒色のショーツは一度くらいしか穿いたことが無い。その時は当選者無で次回に積み立てたらしい。ある時点から急にショーツのプレゼントが多くなったのはその為だったようだ。それを聞かされても志保はあまり不愉快では無かったし、オジサンたちが可愛く思ったと言っている。もっと早く教えてくれたら、それなりに考えてショーツを選んだのにと、笑っていた。
ただ、それらのショーツを独り占めにはしないで、オバちゃんやパートさんにもお裾分けをしたらしいが、パートさんは良かったがオバちゃんはサイズが合わなかったらしい。
志保のショーツを見たのはオバちゃん達だけだったのだろうか?これらをプレゼントした男達の中には実際に見た者はいなかったのだろうか?ふと、そんなことがよぎった。
普通の会社の職場だったらセクハラで完全にアウトだ。今のご時世でこんな大らかな職場もあるんだと思った。志保も職場のアイドルとして周囲から可愛がってもらっていたので、問題にしなかったと言っていた。
とにかく、段ボールいっぱいのショーツを見た時は本当に驚いたことは確かだ。
パンツの話は志保だけでなく私にも関係がある。
志保が男物のパンツはトランクスよりブリーフの方が好きだと言ったことを覚えているだろうか?
あれから私もブリーフ派になった。しかし、普通のブリーフは安価だが、ブランド物のビキニブリーフは高いのであまり種類は持っていなかったが、海外赴任して現地の男がかなり派手なビキニ型を穿いていることに驚いた。女性のスキャンティのように小さく色も原色が多い。私も2年間の外国生活でそれにすっかり馴染んでしまったらしい。ただし、日本ではサラリーマンが平日にそのような派手なパンツは穿けない。もしも、他人に見られたら変態かゲイと思われるだろう。私がビキニを穿くのは休日に志保と過ごす時だけだ。
パリのランジェリーショップでも有名ブランドの下着をプレゼントした。非常に高価だった。

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