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日記番号:1100

セカンド・バージン

子供のままの性器改め、リストラ包茎(皮の中)


  感想集

私の羨望

翌朝、妻は努めて平静を装っていました。
自分の恥ずかしい感情を爆発させたからか、あの話はするなというオーラまで漂わせています。
けれど、実際のところはどうなんでしょう?

一方、私は『妻が浮気・・・剥けた大きなアレとセックスしたいんだ。』という興奮で、常に股間にキューンとした焦燥感が走り、たまらない歓びを感じていたのです。

男にとって、セックスは視覚、嗅覚、妄想そして肉体の快楽の混ざり合ったものです。そして生まれ持った性向、肉体的な優劣そして何より相手の女性の性癖と相性によって、男の性癖は決まっていきます。

私の小さな性器では、膣肉をエラで削るというような快楽はもちろん味わえません。相手の妻も、包茎短小では快感を味わうことなく暗い部屋でマグロのように寝て、私に好きにさせているだけです。妻にとっては、セックスは結婚の責務であるのでしょう。
私はそんな妻の上で勝手に腰を振って、・・まだ・・?」という終わりを催促する言葉で、無理やりフィニッシュに持って行って射精するだけなのです。
亀頭も発達していない上に陰茎も細く短い包茎短小の快楽は、膣肉を味わい尽くして射精するというような快楽の持続はなく、緩い粘膜の中を刺激もなく動き回り、面倒になった女性に急かされて腰を無理やりに振って射精に持って行って、そして発射するほんの一瞬の「アッ、ウゥ」だけです。
包茎短小の一瞬の射精の時だけ感じる快感は、そんなに良いモノでしょうか?
それより、焦燥感と期待と妄想で射精の一歩手前の生殺しの疼くような快感が股間をずっと刺激している寝取られの快楽と比べるまでもないのです。
私は、寝取られを知って、性で初めての歓びを知ったような気がします。

だから私の性癖は、性器結合の刺激に関する自分自身の性体験に基づくものではありません。股間の疼きを大きくするように、妄想だけが極大化していったものです。
そして、私の場合、様々な妄想の中から、「剥けた大きな性器にメチャクチャにされていく妻」という妄想が私の焦燥感や疼きを一番刺激するものだったのです。具体的な設定が決まると、私の妄想はより過激に暴走していきます。
最終的に私の妄想から生まれた妻の性交は、実際の性行為というより、浮世絵の春画の結合シーンのように、強調された凄まじい性器の結合というデフォルメされたイメージになっていきます。短小包茎というコンプレックスの完全な裏返しです。

けれど、無修正ビデオを見たところで、性器自慢の男優とのセックスでも、私の妄想を具現化し満足させてくれるような性交はありません。
私の妄想は、性器や結合部が極端に誇張されデフォルメされた春画と同じく、短小包茎の羨望に過ぎないと思っていたのでした。

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