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日記番号:844

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幸治(都内)


  感想集

10章【男の免疫】-1

私たち夫婦はセックスだけを捉えるとまったくの純粋培養の中で育ち生活してきた。
戦前の社会ならきっと常識的な夫婦だったろう。しかし、バブル期頃から価値観が大きく変わり、私たちのような夫婦は平成の現代社会にあっては昭和の生きた化石のような存在かもしれない。
女性が婚前に複数の男性と性交渉を持つことが普通であり、1人の男性だけで一生を終えることは逆に特別な目で見られる時代である。
そんな社会風潮の中でも私たちは何ら違和感も無く幸せに生活していた。
しかし、ある頃から私の心の奥深い処で得体の知らない漠然とした不安が芽を出し始めていた。それは、不妊治療を中止して半年たった頃だった。中止直後は精神的バランスを失って鬱状態になり精神科の治療を受けていたが、その後次第に回復し、以前の生活に戻っていた。医師の奨めもあり、なるべく世間に出て人との接する機会を持つために華道とフィトネスクラブに通うことにした。
世間に出て人と接することは気分転換にもなるので私も賛成だった。しかし、不妊治療中と大きく違う点は『陽子は妊娠の心配が無い』ことだった。世間に出て行くことは男性と接する機会も多い。『漠然とした不安』とは誰にも言えない私の妄想から生まれた不安だった。
華道はほとんどが女性なので心配は無いが、フィットネスクラブは当然男性客はいる。平日の昼間なので会社勤務の男性はいないが、夜の仕事や勤務時間が自由な男性は混み合う週末を避けて平日の昼間を利用するらしい。
偏見的だが、そう云う男性はリップサービスが上手いし女性への手も早いと聞く。
表向きは賛成したが、内心は決して穏やかではなかった。
私が陽子の生活環境の変化に不安を持ち始めたのにはきっかけがあった。
それは大学時代からずっと親友として付き合っていた大倉の離婚だった。
彼も同じ地方出身者で、大学1年の春頃席がたまたま隣同士になり、言葉を交わしたのが最初だった。それ以来現在まで付き合いは続いている。
大倉は私とは違い、実家は地方の会社経営者で比較的経済的に恵まれていた。彼には高校時代から付き合っている同年齢のユキさんと云う恋人がいて、その彼女も東京の女子大に入学していた。どちらの親も2人の交際を認めていたようで、2人は都内で半同棲のような生活をしていた。大学を卒業して3年後に結婚し、翌年には男子が生まれ順風満帆な人生を歩んでいた。
彼と私は、業種は違うが同じ財閥系の会社に就職したので、年に数回は2人で食事をしてお互いの近況を報告したり相談したりしていた。お互いの結婚式では友人代表として祝辞を述べたこともあったの、妻同士も面識があり、1、2度4人で食事をしたこともある。その後、ユキさんは子供が生まれて家庭に入り、陽子は逆に不妊症と診断されて精神的に不安定になり、夫婦同伴で会う機会が無くなった。しかし、私と大倉はその後も一時期を除いては定期的に会っていた。
その大倉から離婚の話を聞いたのはリーマンショックからやっとアメリカ経済が立ち直り始め日本経済にも明るい影響が見え始めた頃だった。

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