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日記番号:844

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幸治(都内)


  感想集

8章-4

その日、小野氏と初めて直接会話を交わし、しかも話を始めてから2時間しか経っていない。それにも関わらず、私の心中での彼の存在は非常に大きなものになっていた。それは私が抱えている人生の難問を解決してくれる導師のように見え、素直な気持ちで悩みや相談が出来そうな人に思い始めていた。それは小野氏が持つ人の心を包み込むような雰囲気にマインドコントロールされていたかもしれない。
「ところで北野さんはご結婚されて何年ですか?」
「ちょう10年ですか・・・」
「失礼ですが奥様は・・・」
「33才になります。子供はいません」
「不倫の話に大変興味があるように見えたのですが・・・、もしかしたら?」
「ご心配ありがとうございます。私たちにも子供が出来ませんでしたけど、その壁は何とか乗り越えまして、今は安定しています」
「そうですか、安心しました。大変失礼ですが不妊の原因は?」
「うちは妻の方に・・・、不妊治療は色々しましたけど、現代の医学では・・・」
「そうですか・・・、いや大変に無礼な事をお聞きしまして・・・」
小野氏はまるで身内の不幸を聞いたように心の底から同情するような表情で私を見た。
そして、私はこの場で先日温泉旅館での異常体験を告白してみようと思った。
あの日から数ヶ月経っていたが、今でも私たちの寝室ではあの時の異常な出来事が話題になる。それが刺激なって求め合う事も続いている。
しかし、あの日の出来事は私たち夫婦以外の人達に話すことは無かった。なぜなら、その事を話すと、私たち夫婦も同じように好奇な目で見られる不安があったからだ。
しかし、小野氏が私を信頼して彼の秘密体験を話してくれたのだから、彼なら私たちの体験を話しても良いと思った。また、それについて何か別の興味深い話をしてくれるのではと思った。
「実は私たち夫婦も数ヶ月前に異常な体験をしまして、三文週刊誌の世界だけと思っていた事が実際にあることを知って驚いたんですよ」
それから私は泊まった温泉旅館の隣室から聞こえてきた異様な気配、その後4人の男女が同室でセックスをしている嬌声や物音をなるべく客観的に話した。しかし、さすがに露天風呂での出来事やその夫婦に誘われたことは話せなかった。
小野氏は私の話に何度も肯き、時々、メガネの奥から鋭い視線で私を見たりしていた。
「そうですかぁ、それは大変貴重な体験されたかもしれませんねぇ」
「北野さんがご想像された通りで、たぶんその人達は〝スワッピング〟、いわゆる〝夫婦交換〟されていたのでしょう。〝スワッピング〟は昭和の末頃に非常に流行りまして、それに関する本もいくつか定期刊行されていたんですよ。ただし、昔は出会いを求めてから実際に出会うまでに数週間かかりました。今はインターネットやメールのやり取りで早くなったようですけど、その仲介を風俗営業の怪しげな連中が商売でやるようになってからはプライバシーを気にする人達からは敬遠されるようになったと聞いています。それでも、ハプニング喫茶やバーが繁盛しているそうですから、まだ多くの人達が実際にプレーをしているようですね。私も昔、バブルの末期頃に乱交パーテーに参加したことがありますけど、たぶん、ここのマスターも1、2度は経験があると思いますよ」
小野氏はそう言ってニヤッと笑った。私はついカウンターのマスターの方を見てしまった。

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